アスペルガーかもしれない

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グレーゾーン
アスペルガー症候群
毒母
父親の自死…



アスペルガーかもしれない私の、
幼少期〜暗黒の10代〜現在までの経験や、
出会った人達の諸々、
世間で起きている事件などから、
私なりの考え方を綴ります。

本当に、悪いヒト??…根本を考えてみたら…

相模原市の障害者福祉施設の

元従業員による殺傷事件。

植松聖容疑者について、

私なりに思ったことがあります。



誤解のないように先に申し上げますが、

彼がやった事は、

到底許されることではなく、

厳しく罰せられて当然ですし、


本当に痛ましい事件であり、

ご遺族や関係の方々には、

心より、

哀悼・お見舞いの意を表します。




しかしながら、

以下、ご批判を承知の上で記しますが…


植松容疑者がこの事件を引き起こした経緯を、

私が知るところの障害者や

その家族の現状と重ね合わせて考えてみると、

全く理解できない、

自己都合だけを主張するような、

悪人だとは思えないのです。



実際、教育実習先の子ども達からは

優しい良い先生、という評価もあり、


そのエピソードが、

マスコミなどの報道に寄ってしまうと

あたかも虚偽の、偽善の、

造られた姿、であるかの様に

イメージされていると感じますが、


私は、

彼は、根っこは。

とても優しくて思いやりに溢れる、

賢さも兼ね備えた、

善人だと思います。


それなのに、

どこかから、

おかしな方向に思考の舵をきってしまい、

両親をはじめとする

周りのサポートも無かったために


間違った方向にばかり、

どんどん彼の中で

極端な考えが暴走してしまった結果の、

事件だと。

考えています。




容疑者は、

「障害者は不幸を生むだけ。

だから居ないほうが世のためなのだ」

という思考に基づいて


言わば、

世直しのために自分が、ひと肌脱ごう、

その為に捕まったとしても、

この件を機に、世の中に訴え、

考えてもらうキッカケにして

状況が変わっていくことを、

目的にしていたようです。



その考え方には、一理あると、

私は思います。



と言いますのは、

これまでに私の周りで見聞きしてきた

障害者の家族の現実があります。



脳性麻痺により、

下半身不随で車椅子生活の男の子のご家族の話…

そのお母さまが話されていた事なのですが、



男の子には健常者の姉がおり、

たまに会うだけの私から見ても

弟の介助などを

当たり前に甲斐甲斐しくする、

小学生ですがとてもしっかり者の、

よく出来たお嬢さんです。


「環境が、人を育てるのね〜」

と、私は感心していました。



そのお姉さんが、ある時、

「どうしてウチには(弟)がいるの?

(弟)が居るせいで、みんながタイヘン!

(弟)が居ない方がずっと、みんな幸せだったのに〜!」

と、泣きわめいたそうです。


そう話すお母さまも、

涙、涙で止まらず、

ずっと抑えてきた感情があふれ出た

という感じでした。




障害者の家族にとっては当り前の日常でも、

周りのそうではない人々の目には

特異に見えて、


とくに小学生くらいの子どもだと、

無邪気に遊び半分でからかわれたり、

ということが

日常茶飯事だったかも知れないと、

想像がつきますし、


「どうして私だけ…」

との思いが湧くのも、当然とも思えますし、

さらに、同級生や友達にも、

なかなか弱みを見せられない、 

いつも気丈に振る舞わざるを得なかったのでは…

というところも、

想像にかたくありません。


それに、長女であるし、

弟には人の何倍も手がかかるので、

必然的に

お姉さんは甘えたくても

常に我慢を強いられ、

幼い頃からの欲求不満が積み重なっていた…



ずっとそうした、辛い気持ちを

両親にも、

誰にも言うことができずに

ひとり葛藤していた、


小さな心を痛めていた、

お姉さんの心中を思うと……




他の例では、

もうすぐ中年にさしかかるくらいの女性。

その方には兄弟や親戚に

障害者が複数いらして、


「私は絶対に結婚は出来ないの。

子どもに障害が出る可能性が高いから。

それはもう、若い時から決めていたの」

と、

頑なにおっしゃっていた姿が、

印象的に、

ずっと私の記憶にあります。




“キレイゴト”

では、

済まされない現実が、

あるのです。。




植松容疑者は、

施設で働く中で

障害者の方のお世話をし、

そのご家族とのやり取りや、

時にはプライベートな会話を共にしたり、

その本音を、

見聞きする機会が多くあったと思われます。



知人が多くはなく、狭い世界にいる私でさえ、

ちょっと関わった方の現状を知っただけでも

あれこれ深く考えさせられたので、


容疑者はなおさら、

そうした、

問題意識を増幅させていったと考えられるのです。



ご批判を覚悟の上で申しますが、


それは、

思いやりからの、彼の正義感なのです。


障害者が居なければ、

周りの人がラクになれる。という…




障害者の方が

家族にいるか居ないかで、

ひとの人生は大きく違ってしまう。


もちろん、

ご家族にとっては

かけがえの無い、

大切な家族の一員であることは

言うまでもないですし、


障害者が身近にいることで、

居なければ出来なかった体験や学び、

人との出会い、喜びもたくさん、

あることでしょう。



でも、

はじめから望んで

障害者を家族に持とうとは、

きっと誰も思わないのではないでしょうか。


出来れば、

しなくて良い苦労は避けたいし、

もし、

どちらか選べると言われれば

健常者の家族を希望すると思います。




そうした、

キレイゴトでは片付かない、

その現実を。


まずは

当事者である障害者とそのご家族が認め、

受け入れて、


次に、

世の中の多くの方が、

まずはよく知り、

目をそらさずに、真正面から受け止めて、


その上で

そうしたご家族や障害者の方と、

どう上手く、

共存して行けるか、

助け合ってこの世の中で暮らせるのか。

ということを、

話し合っていく必要があると思います。



「障害者の子は

健常者よりも純粋でカワイイ」などと、

それは確かに事実ではありますが、


自己肯定するためのキレイゴトだけを、

そうやって並べ立てて


本音の、

ツライ部分を圧し殺して

上辺だけ取り繕っていても、


どこかで

無理が出てきて

上記のお姉さんのように

いつか爆発するかも知れない…



何にでも言えることですが、

問題点を、見て見ぬふり、

クサイものには蓋、

という考え方はやめて、


根本的なところから、皆で意識を共有して、

ひとつひとつ改革していかないと、

世の中はいつまでも、

何も変わるはずがありません。




話がずれますが、

ひとつ前に記したブログに則って考えると、

植松容疑者も、


極端に物事を考えてしまう、

思い込みが激しい、

教員を目指しているのに入墨をしているなど、

考え方がドコかズレている…


という特徴から、

発達障害がある人かも知れない、とも、

私なりに思ったところでもあります。



ご家族との関わりなど、

まだいろいろと思うところがありますが、

長くなりましたので、

次の機会にいたします。


ここまで読んでいただいた方、

お疲れさまでした。

ご精読、アリガトウございました ☆

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